遠野物語について

 遠野物語とは、「物語なのか」という疑問について考えてみた。

 私の中で遠野物語とは「科学やルールがまだ未発達だった時代の、不条理なことに対する折り合いのつけ方」を記した物ではなかろうかと思う。物語に出てくる「妖怪や神の存在」も「不条理なことにたいする折り合いのつけ方」そのものであると感じる。当時を生きる人の優しい智恵なのである。

 遠野物語の内容としては、現代で言えばゴシップである。不条理な出来事、平たく言えば「人殺し、盗み、放火、神隠し」などを聞きづてに記していると感じる。ただ、現代のゴシップと明らかに違うのは、誰かを責めるとか、裁くとか、書き手側の倫理観の押しつけがない「不思議な事があるものだな」というニュアンスで描かれているところである。そういう意味で、事実をもとに書いていたとしても、読み手に感じ方を委ねているので、「遠野物語」はただのゴシップではなく、物語といえるのではないだろうか。読んだ人、聞いた人の感じ方次第。絵画の鑑賞に近いのかもしれない。なんとも隠微な雰囲気を醸し出している。

スーパームーン

 今日の月は本当に大きかったです。後で、今年最大のスーパームーンなのだと知りました。今日はブログを始める好日です。

 山から出たばかりの黄色い大きな月を見て、つい興奮。明日9才になる娘を呼び寄せて一緒に見たのですが、娘は「すごいすごい!写真を撮ろう」といいながら、すぐテレビを見始めてしまいました。あまり家族は自然の事象に興味が無いようです。

 そういえば、今日の月を見て、竹取物語を思い出しました。今日の月がいくら大きかったとしても、なぜ竹取物語の作者は、空に浮かぶ小さな光の中に人が帰れる場所があるなどと想像できたのでしょうか。まだ蘭学天文学などが伝わる前の平安時代に、光の先に人がいられる空間があることを想像できていることがすごいと思います。

 娘と月のことで話したことと言えばもう一つ。これは、以前のことなのですが、私が何気なく娘に「月の影はなんの形に見える?」と聞きました。私は普通にかわいく「お餅をついているうさぎさん」と言うのかと思っていました。しかし、娘は「月ってなんか地球っぽいよね」と言ったのでした。私はその時、体に電流が走る気がしました。月と地球の関係といえば、潮の満ち引きなど、月が地球に与える影響を思いがちですが、もしかして、地球はそれ以上に月に影響を与えているのではないかと思ったのでした。

そして、確かに月の影は地球に似ている、クレーターは大陸に見えるな。大陸がつながっている・・?これは地球の大陸がつながっていた「パンゲア」の形ではないのか??と思ったのでした。

 天文に興味はあっても、全く専門の知識がないのでこういうことを言うと馬鹿にされそうですが、「パンゲア」時代のまだ大気の薄い地球からの、海の部分と陸の部分の地球照の照り返しの温度の違いから、月のクレーターの石の質が変わってあの模様ができたのではないだろうか・・。などと思ったのでした。月のクレーターの形成時期などの専門的な知識などが無いから立てられる無謀な仮説ですが、月が昔の地球の写し鏡だったらすごいな・・と想像をめぐらせてみたのでした。そう考えると、竹取物語でお姫様が月に帰っていくのもわかる気がするなあと思ったのでした。以下パンゲア大陸と月の模様。うさぎの耳(カニのハサミとも言う)のあたりなんか似すぎていませんか。。。